まずは、アルメニア事情から学びましょう。
歴史
アルメニア人は自らをハイ(複数形はハイク)、国をハヤスタンと呼ぶ。またノアの箱船が漂着したというアララト山はよく知られている[1]。
紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄した。しかしローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもあった。
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1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教とした[2]。その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復。しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝やモンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃。このため10世紀に多くのアルメニア人が故国を捨てる(ディアスポラ)ことになった[3]。
1636年にアルメニアにはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治されるが、1828年のトルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニアはロシア領となる。19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化。20世紀初頭に至るまで多くのアルメニア人が虐殺され(アルメニア人虐殺問題)、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込んだ。
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